ドイツでつかんだ青春哲学 「青いトマト」   山田みち子著

 
第7章 4 
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 8月下旬、長期休暇からミナ一家が戻ってきた。
草間みちこは寂しかった日々をミナにこぼした。
 「ミナがいないとさびしい。ミナはおかあさんのよう」
 ミナもマリアもみちことの再会を喜んだ。お土産も買ってきてくれた。
 ミナはのんびりしていたわけではなかった。旅の話でしばらく盛り上がった。

 「ボーデン湖にいった」
 マリアの言葉にみちこがたずねた。
 「どこにあるの?」
 マリアは言葉がつまった。ミナがそれを受けて話し始めた。
 「スイスとオーストリアとの国境にあるの」
 ミナは風景を思い浮かべるような顔になった。

 「ボーデン湖は、ライン川の一部でね、ドイツ最大の湖なのよ」
 聞いたことがあった。確か高校の頃。みちこは笑顔になった。

 「夕焼けの中、湖に浮かぶいくつもの島々、朝日に浮かぶ美しい町や村。思い出すだけでもうっとりするわ。」
 ミナは少女のような目をした。こんな太い少女はいないが。
 「あのうまいワイン。あれは世界一だね」
 カールがいつの間にかきて、会話に首を突っ込んだ。

 「フレスコ画が描かれた華やかな建物やドイツ最古の劇場、どれもよかったな。こんどみちこも行くといいな。でもボーデン湖の水はパイプラインで、シュトゥットガルトにも来ているから、みちこもどこかで出会っているよ」
 カールはさもおもしろそうに自分の言葉に笑いながら、ミナにコーヒーを出すように指示した。
 ドイツでは男は強い。女性が逆らうようなことはいわない。

 みちこはそれを素直に言った。  
 「ドイツの男性は世界一強い男ね」
 みちこは言ったあと、くすっと笑って、カールの顔を見た。
 白髪で、ビールのせいか、いつも赤ら顔だった。

 「このまえな、そこのアパートの2階から、だんなが窓の外に投げ出された。ドイツの女性は強い。うっかり逆らうとあの体だ。ぽんと窓から放り出されてしまうよ」
 カールはミナが来ると急に黙った。
 「なに? 楽しそうね」
 ミナがカールに声をかけるとカールはコーヒーもいいけど、ビールが飲みたいと話をごまかした。

 ドイツの家庭は男性が財布を握っている。ミナもカールから毎月決まったお金をもらって生活費にしている。カールがいくら年金をもらっているのか知らないし、聞こうともしない。月々の決まったお金でミナはやりくりをしている。
 「日本はだんな様の給料をいったん全部もらって、その中でいろいろやりくりするのよ」
 草間みちこの言葉にミナは感心しながらたずねた。
 「奥さんのおこづかいは?」
 そういえば、あるような、ないような、母に聞いたことがない。どうしているのかしら?

 ミナはきちんと家計簿を記入していた。大きな丸い鉛筆だった。ケーキやパンの材料もその大きな鉛筆で記入していた。
 そういえば、ミナは美しい文字を書いた。台所のメモですら、アートの世界だった。ロルフは活字体のような字を書くが、ミナの文字は秀麗なゲーテのような流れだった。

 「ミナは以前は何か働いていたの?全てが出来るから」
 みちこの問いにミナは即座に答えた。
 「母親にすべて教わったのよ」

 そういえば、マリアも昼時になると台所でミナの周りをうろうろしている。知能が劣っているといいながらも生活の全てを自分の力でさせている。決して、アンもミナも手伝わない。
 「パンもケーキも編み物もアイロンがけも掃除も全て母親から教わったもの」

 カールが口をはさんだ。
 「食べることもね。母親も大きかったよ。世界一の大きさだ」
 「まったく」
 ミナは反論したい言葉を口に閉じ込めるかのようにぎゅーと結んでまた台所へいった。

 「ほら、ビール」
 待ってましたというようにカールはビールを受け取った。

 「これも世界一。世界一だらけだね」

  ミナはみちこに目配せした。
 「そう、ミナは世界一のお母さん!」
 みちこの言葉にビールで幸せになったカールがつけ加えた。
 「世界一、ドイツのおかあさん、世界一のビール、プロースト!」
 カールは昼間からすっかりいい気分になっていた。
 旅行から戻ってもカールには休暇が続いていた。
 退職してから、カールは何もしないという第二の人生を送っていた。
 「カールは十分働いてきたからね」
 ミナはカールを優しい目で見ていた。
 「みちこ、結婚はいいもんだよ。家族も出来るし、生活も安定する。みちこも日本に帰って、家庭を作るといいよ。それが女の幸せかもしれないよ」
 ミナがいうとそうかなと思ってくる。
 「しあわせ?」
 久しぶりに聞いた言葉だった。確かに幸せは日本にあるのかもしれない。それが結婚かどうかはわからないが。