ドイツでつかんだ青春哲学 「青いトマト」   山田みち子著

 
第7章 6 青いトマトの味
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 その年の9月、
草間みちこは語学学校でドイツ教育に関してのレポートとかぐや姫の翻訳が認められ、トップの成績を取ることができた。それが幸いして、シュトゥットガルト大学の聴講生の枠にスムーズに入学できた。

 「がんばろうね」
 ポルトガル人アベルも機械化に入学を許可され、いっしょの大学に通学することになった。

 入学金約2千円。日本では信じられない額だった。

 そこで絵の基本を学んだ。デッサンやクロッキーは桑沢時代に鍛えた効果が表れ、語学学校時代より心に余裕が出来た。言葉も日常生活に不自由しなくなった。

 しかし、視力がドンドン落ちていた。
 「遠くがぼんやりして、ゆがんで見える。写真を使うことはできませんか」
 ある日、みちこはアシスタントの男性に許可をえようと尋ねた。
 それを聞いたマクシミリアン教授が自らみちこのかたわらに近づいてきた。

 彼は始めての授業で、自分はカフィオレが好きだとまず自分の好みを紹介した。生徒達はそれより赤ワインが好みではないかと思っていた。
 マクシミリアン教授はフランス人独特の赤ら顔で優しい目をしていた。
 「視力が悪いんだって」
 「写真を使う。大いにけっこうだ。遠くが見えない人はそのハンデを背負って、あきらめるのではなく、助けを求めてもいいとおもうよ」
 日本にいるときは、写真などを持ち出したら、指導者からひどい叱責をうけた。
 「ただあくまで自分の価値観を大切にしなさい。写真を素材にして、そこから自分の感性や生き方を表現することが大切だと私は思うね」

 教授は自分の考えを決して押し付けない。
 まず自分の個性、価値観を重んじなさいと何度も繰り返した。

 「個性や価値観はその人の遺伝子が大いに関係する。そして、生きてきた国が反映されている。みちこは日本というすばらしい国で生まれ育った。それをまず自分の一貫した価値として位置づける。それから、育つ間に得た感性。そしてこれからの人生で栄養付けるのが重要だ」

 教授はみちこだけでなく、クラス全体に分かるような、フランスなまりのドイツ語で話した。

 「みちこは青いトマトだ。赤い熟したトマトのような甘みはないが、中身はしっかりつまっている。トマトはすばらしい。どんな貧弱な土地でも育つ。いろんな料理にも利用できる。でも理解されるまでは大変な歴史があった。みちこもおんなじだ」

 みちこはその夜、青いとまとの一件をミナに語った。
 「青いトマトね」
 ミナは感心しながら、保存棚から大きなガラス瓶を取り出した。
 「青いトマトの酢漬けよ。食べてみて」
  
 トマトは青いときは食べられないと思っていたみちこはこわごわとその酢漬けを口にした。
 「シュメクト グー」
 思わずドイツ語で美味しいを連発した。
 
 好きな絵に没頭した一年間は瞬く間に時が流れた。

 「みちこにやっと生きる勇気がわいてきたようだ」
 時々、ミナの家で夕食を共にするロルフが安心したようにいう。

 「ぼくもそろそろ考えているんだ」
 ロルフはみちこに自分の将来の設計図を話した。
 「今、付き合っているドイツ人の女性と結婚する。仕事よりいい仕事に転職する」
 ミナはそれを静かに聞いていて、ロルフが帰るとみちこにいった。

 「みちこのおかげでロルフも自分の生き方を見つめなおしたみたいね。わたしも少しは安心したわ」

 それからの半年間が一番充実していた。
 みちこの油絵は飛躍的に上達し、エスリンゲンの地方紙を大きく飾ったりもした。
 「日本人画家の魅力的な作品」とも賞賛され、ミナは鼻を高くして、近所へ新聞を配った。

 帰郷が決まった日はミナが自宅でパーティを開いてくれた。招待客はみちことの別れを惜しみ、小さなプレゼントを次々手渡した。世界一ケチなカールの手渡した封筒にはなんとマルクの紙幣が入っていた。日本円で5000円ぐらいの価値があった。
 ミナはプレゼントどころではなかった。大粒の涙を一杯ためて、絶対戻ってくることを何度も懇願した。
 「みちこ、ご両親に顔を見せたらすぐに戻ってくるのよ」

 それが一生の別れになるとはミナもみちこもその時は全く思わなかった。
 
 「みちこ 楽しかったよ」
 たった一年の出会いだったがマクシミリアン教授との別れは辛かった。彼はみちこに自分の住所メモを渡しながら、人生のライバルになろうとみちこを勇気付けてくれた。
 アベルとは一生の友になろうと、文通の約束をしてわかれた。