もっと楽しく学ぼう 日本人の教養 電彩アート 山田みち子

初夏のある朝、あんなに美しく咲いていた
紫陽花が色あせ、しょんぼり咲いているのを
見ながら、ふと百人一首の小野小町の歌を
思い出しました。人生まもなく70年の私が、
10代の頃に学んだ和歌を思い出すなんて。
今までのゆとりのない日々を反省しました。

さあ! 小倉百人一首」をいっしょに
とことん楽しんでみませんか?


これらの中から絵になる和歌、あるいは
心に残る一首が見つかる事を願ってます。
藤原定家が選んだといわれる小倉百人一首
600年間の秀歌、天智天皇から順徳院までの
約六百年あまりの間の代表歌人の秀歌集。

(百人のうち女性歌人が21人、僧侶15人)

天智天皇(1番) 『後撰集』


秋の田の
かりほの庵の 苫(とま)をあらみ 
わが衣手は露にぬれつつ

秋の田圃のほとりにある仮小屋の屋根を
葺いた苫の編み目が粗いので、
私の衣の袖は露に濡れていくばかり。

    持統天皇(2番) 『新古今集』   


 春すぎて 
夏来にけらし 白妙の 
衣(ころも)ほすてふ 
天の香具山

いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏にな
 ると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に


   柿本人麿(3番) 『拾遺集』


あしびきの 
山鳥の尾の しだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む

山鳥の尾の長く垂れ下がった尾っぽのように長い夜を
 独りさびしく寝ることだろうか。

 山部赤人(4番) 『新古今集』

田子の浦に 
うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ

田子の浦に出かけて遙かにふり仰いで見ると、白い布をかぶった
ように白い富士の高い嶺が見え、そこに雪が降り積もっている。

猿丸太夫(5番) 『古今集』


奥山に 
紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
声きく時ぞ 秋は悲しき

人里離れた奥山、紅葉を踏み分けながら、
恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くとき、
いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。

中納言家持(6番) 『新古今集』


かささぎの 
渡せる橋に おく霜の
  白きを見れば 夜ぞ更けにける

七夕の日、牽牛と織姫を逢わせるために、かささぎが翼を
連ねて渡したという橋,天の川にちらばる霜のようにさえざえ
とした星の群れの白さを見ていると、夜もふけたと感じる。

安倍仲麿(7番) 『古今集』

天の原 
ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも

天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月
は奈良の春日の三笠山に昇っていたのと同じ月なのですね。



喜撰法師(8番) 『古今集』

 わが庵(いほ)は
都のたつみ しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり

私の庵は都の東南にあり、平穏に暮らしているが
世を憂いて逃れ住んでいる宇治(憂し)山だと、
 世の人は言っているようです。


 
小野小町(9番) 『古今集』

花の色は 
うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった。
春の長雨が降 っている間に。
まるで私の美貌が衰えたように、恋や
世間の様々な事に思い悩んでいるうちに。


蝉丸(10番) 『後撰集』 

これやこの 
行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関

京から出て行く人も帰る人も、知り合いも知らない
他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うと言う
有名な逢坂 の関がここなのですね。



  参議篁(11番) 『古今集』 

わたの原 
八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣り舟

広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ
と都にいる人々には告げてください、漁師の釣り船よ。


僧正遍照(12番) 『古今集』

天津風(あまつかぜ)
雲の通ひ路 吹き閉ぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ

天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉
 ざしてくれ。乙女たちの姿を、もうしばらく地上に留めておきたい。

陽成院(13番) 『後撰集』

筑波嶺(つくばね)の
峰より落つる 男女川(みなのがは)
恋ぞつもりて 淵となりぬる

筑波の頂きから流れ落ちてくる男女川(みなのがわ)が、
最初は細々とした流れから次第に水嵩を増して深い淵となる
ように、恋心も次第につのり今では淵のように深くなっている。


河原左大臣(14番) 『古今集』

陸奥(みちのく)の 
しのぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし われならなくに

陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、
 乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。私のせいではない。

光孝天皇(15番) 『古今集』

君がため 
春の野に出でて 若菜摘む
我が衣手に 雪は降りつつ

あなたにさしあげるため春の野原に出かけて若菜を摘んで
いる私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかってくる。

中納言行平(16番) 『古今集』

たち別れ 
いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今帰り来む

お別れ後、因幡の国へ行く私ですが、稲羽山の峰に
生えている松の木のように私の帰りを待つと
お聞きしたら、すぐに戻ってまいりましょう。



在原業平朝臣(17番) 『古今集』 

千早(ちはや)ぶる 
神代もきかず 龍田川
  からくれなゐに 水くくるとは

不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、
こんなことは聞いたことがない。龍田川が真っ赤な紅色に、
(紅葉が水面に)水をしぼり染めにしているとは。


 

  藤原敏行朝臣(18番) 『古今集』

住の江の 
岸による波 よるさへや
夢の通ひ路 人目よくらむ

住之江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないけれど、
 夜でさえ、夢の中で私のもとへ通う道でさえ、
どうしてあなたは人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。

伊勢(19番) 『新古今集』

難波(なには)潟 
みじかき芦の ふしの間も
   逢はでこの世を 過ぐしてよとや

難波潟の芦の、節と節との短さのように、ほんの短い間も
逢わずに、一生を過ごそうと、あなたは言うのでしょうか。

元良親王(20番) 『後選集』

わびぬれば 
今はた同じ 難波(なには)なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

これほど深く悩んでしまったのだから、今はどうなっても
同じこと。難波の海に差してある澪漂ではないが、
この身を滅ぼしてもあなたに逢いたい。


 


 素性法師(21番) 『古今集』

今来むと 
言ひしばかりに 長月の
 有明の月を 待ち出でつるかな

今すぐに行きますとあなたが言ったばかりに、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、
夜明けに出る有明の月が出てきてしまった。

 


         
 文屋康秀(22番) 『古今集』    

吹くからに
 秋の草木の しをるれば 
むべ山風を 嵐といふらむ

山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれてしまう。
 だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのですね。

 

 大江千里(23番) 『古今集』

月みれば 
ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど

月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。
わたしひとりだけに訪れた秋ではないのに。



 菅家(菅原道真)(24番) 『古今集』 

このたびは 
幣も取りあへず 手向山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに

今度の旅はあまりに急で道祖神に捧げる幣(ぬさ)も準備
できませんでした。手向けの山の紅葉を捧げるので、
神様 御心のままにお受け取りください。

三条右大臣(25番) 『後撰集』    

名にし負はば 
逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな

恋しい人に逢える逢坂山、一緒にひと夜を過ごせる
「小寝葛(さねかずら)」その名前にそむかないならば、
逢坂山のさねかずらをたぐり寄せるように、
誰にも知られずあなたを連れ出す方法があればいい。

 貞信公(26番) 『拾遺集』

小倉山
峰のもみぢ葉 心あらば
 今ひとたびの みゆき待たなむ

小倉山の峰の紅葉よ。
人間の情がわかる心があるなら、
 もう一度天皇がおいでになるまで、
散らずに待っていてくれないか。



    中納言兼輔(27番) 『新古今集』  

みかの原 
わきて流るる 泉川
 いつ見きとてか 恋しかるらむ

みかの原から湧き出て、原を二分するようにして流れる泉川では
ないが、いったいいつ逢ったといって、こんなに恋しいのだろうか。

源宗于朝臣(28番)『古今集』

 山里(やまざと)は 
冬ぞ寂しさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば

山里は、ことさら冬に寂しさがつのるもの。
人の訪れもなくなり、草木も枯れてしまうと思えば。

 凡河内躬恒(29番) 『古今集』 

心あてに 
折らばや折らむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花

もし手折るならば、あてずっぽうに折ってみようか。
 白い初霜が降りて、白菊の花と見分けがつかないから。
 。

壬生忠岑(30番) 『古今集』

有明の 
つれなく見えし 別れより
暁ばかり 憂きものはなし

有明の月は冷ややかでそっけなく見え、
相手の女にも冷たく 帰りをせかされた。
その時から夜明け前の暁ほど憂鬱で
 私には、辛く感じてしまう。

坂上是則(31番) 『古今集』

朝ぼらけ 
有明の月と みるまでに
吉野の里に ふれる白雪

明け方、空がほのかに明るくなってきた頃、
有明の月かと思うほど明るく、
吉野の里に白々と雪が降っている。

 春道列樹(32番) 『古今集』

山川(やまがわ)に 
風のかけたる しがらみは
流れもあへぬ 紅葉なりけり

山の中の川に、風が掛けた流れ止めの柵(しがらみ)
がある。それは、流れきれないでいる紅葉の集まりだった。


  紀友則(33番) 『古今集』

ひさかたの 
光のどけき 春の日に
静心なく 花の散るらむ

こんなに日の光がのどかにさしている春の日に、
なぜ桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。

藤原興風(34番) 『古今集』  

誰(たれ)をかも
しる人にせむ 高砂の
松もむかしの 友ならなくに

誰をいったい、親しい友人といえよう。
(長寿で有名な)高砂の松も、
昔からの友人ではないのに。

紀貫之(35番) 『古今集』

人はいさ 
心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほひける

あなたは、さてどうでしょうね。他人の心は分からないけれど、
 昔なじみのこの里では、梅の花だけがかつてと同じいい香り。

清原深養父(36番) 『古今集』

夏の夜は 
まだ宵ながら 明けぬるを
雲のいづこに 月宿るらむ

夏の夜はまだ宵の時分だなあと思っていたら、
もう明けてしまった。月も(西の山かげに隠れる暇もなくて)
 いったい雲のどこのあたりに宿をとっているのだろうか。

 文屋朝康(37番) 『後撰集』 

白露(しらつゆ)に 
風の吹きしく 秋の野は
つらぬき留めぬ 玉ぞ散りける

草の葉の上に乗って光っている露の玉に、風がしきりに
吹きつける秋の野原は、まるで紐に通して留めていない
真珠が散り乱れて吹き飛んでいるようだ。

 右近(38番) 『拾遺集』 

 忘らるる 
身をば思はず 誓ひてし
    人の命の 惜しくもあるかな

忘れ去られる私の身は何とも思わない。しかし、
いつまでも愛すると神に誓ったあの人が、
命を落とすことになるのが惜しまれてならない。

参議等(39番) 『後撰集』

浅茅生(あさぢふ)の 
小野の篠原 しのぶれど 
あまりてなどか 人の恋しき

まばらに茅(ちがや)が生える、篠竹の茂る野原の「しの」で
 はないけれども、隠して忍んでいても、想いがあふれてこぼ
 れそう。どうしてあの人のことがこんなに恋しいのだろう。

平兼盛(40番) 『拾遺集』 

しのぶれど 
色に出でにけり わが恋は
  ものや思ふと 人の問ふまで

心に秘めてきたが、顔や表情に出てしまっていたようです。
「恋でもしているのですか?」と、人に尋ねられるほどになった。

    壬生忠見(41番) 『拾遺集』       

恋すてふ(ちょう) 
わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか

「恋している」という私の噂がもう立ってしまった。誰にも知られ
ないように、心ひそかに思いはじめたばかりだというのに。

     清原元輔(42番) 『後拾遺集』  

  契りきな 
かたみに袖をしぼりつつ
末の松山 波越さじとは

約束した、お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りな
 がら。末の松山を波が越すことなんてあり得ないように、
けっして心変わりはしないと。

権中納言敦忠(43番) 『拾遺集』

逢ひ見ての 
のちの心に くらぶれば
    昔はものを 思はざりけり    

恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい
気持ちに比べたら、昔の想いなど、なきに等しい。

中納言朝忠(44番) 『拾遺集』

逢ふことの
絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし

もし逢うことが絶対にないのならば、かえってあの人の
つれなさも、我が身の辛い運命も恨むことはしないのに。


 

 謙徳公(45番) 『拾遺集』

あはれとも 
いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな

私のことを哀れだと言ってくれそうな人は、他には誰も思い浮
 かばないまま、きっと私はむなしく死んでいくのに違いない。


曽禰好忠(46番) 『新古今集』

由良の門(と)を 
渡る舟人 かぢをたえ
ゆくへも知らぬ 恋の道かな

由良川の河口の流れが速い瀬戸を漕ぎ渡る船頭が、
櫂をなくして行く先も分からずに漂っていく。
そんなようにこれからどうなるのか
行く末が分からない私の恋の道行きです。



恵慶法師(47番) 『拾遺集』  

八重葎(やへむぐら) 
しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり

つる草が何重にも重なって生い茂っている荒れ寂れた家。
訪れる人は誰もいないが、それでも秋はやってくるのだ。


 
源重之(48番) 『詞花集』

風をいたみ 
岩うつ波の おのれのみ
   砕けてものを 思ふころかな
  

風が激しくて、岩に打ち当たる波が砕け散るように、
(相手は平気なのに)私だけが心も砕
 けんばかりに物事を思い悩んでいるこの頃。

 

 大中臣能宣(49番) 『詞花集』
   
御垣守(みかきもり) 
衛士(ゑじ)の焚く火の 夜は燃え
   昼は消えつつ ものをこそ思へ

宮中の御門を守る御垣守(みかきもり)である衛士(えじ)の
燃やす篝火が、夜は燃えて昼は消えているように、
私の心も夜は恋の炎に身を焦がし、昼は消えいるように
物思い(恋心)に悩んでいます。


藤原義孝(50番) 『後拾遺集』 

君がため 
惜しからざりし 命さへ
   ながくもがなと 思ひけるかな

あなたのためなら、捨てても惜しくはないと思っていた
命でさえ、逢瀬を遂げた今となってはできるだけ
長くありたいと思うようになりました。

藤原実方朝臣(51番) 『後拾遺集』

かくとだに 
えやは伊吹の さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
 

せめて、こんなに私がお慕いしているとだけでもあなたに言い
たいのですが言えません。伊吹山のさしも草ではないけれど、
それほどまでとはご存知ないはず。燃えるこの想いを。

 藤原道信朝臣(52番) 『後拾遺集』 

明けぬれば 
暮るるものとは 知りながら
  なほ恨めしき あさぼらけかな

夜が明けてしまうと、また日が暮れて夜になる
あなたに逢えるのは分かっているのですが、
それでもなお恨めしい夜明けです。

右大将道綱母(53番) 『拾遺集』

歎きつつ 
ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る

嘆きながら、一人で孤独に寝ている夜が明けるまでの時間が
どれだけ長いかご存じですか? ご存じないでしょうね。


 

儀同三司母(54番) 『新古今集』 

忘れじの 
行く末までは 難ければ
今日を限りの 命ともがな

いつまでも忘れないという言葉が遠い将来まで変わらない
 というのは難しいでしょう。だから、その言葉を聞いた今日を
限りに命が尽きてしまえばいいのですが。

大納言公任(55番) 『千載集』

滝の音は 
絶えて久しく なりぬれど
   名こそ流れて なほ聞こえけれ

滝の流れる水音は、聞こえなくなってから久しいが
その名声だけは流れ伝わって、今でも人々の口から
聞こえてきますね。

和泉式部(56番) 『後拾遺集』  
あらざらむ 
この世の外の 思ひ出に
  今ひとたびの 逢ふこともがな

もうすぐ私は死んでしまうでしょう。
あの世へ持っていく思い出として、
今もう一度だけお会いしたいものです。



紫式部(57番) 『新古今集』 

めぐり逢ひて 
見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな

せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどう
 かのわずかな間にあわただしく帰ってしまった。
まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のようだ。


 大弐三位(58番) 『後拾遺集』 

有馬(ありま)山 
猪名(ゐな)の笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする

有馬山の近くにある猪名(いな)の笹原に生える笹の葉
 がそよそよと音をたてる。まったくそう。
 どうしてあなたのことを忘れたりするものですか。

赤染衛門(59番) 『後拾遺集』

やすらはで 
寝なましものを さ夜ふけて
   傾(かたぶ)くまでの 月を見しかな

ぐずぐず起きていずに寝てしまったのに。
 あなたを待っているうちに夜が更けて、
西に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまったよ。

小式部内侍(60番) 『金葉集』

大江(おほえ)山
いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天の橋立

大江山を越え生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立
 の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てません。

いにしへの 
奈良の都の 八重桜
    けふ九重に にほひぬるかな

いにしえの昔の奈良の都の八重桜が、
今日は九重の宮中でひときわ美しく咲き誇ってます。

 清少納言(62番) 『後拾遺集』       

夜をこめて 
鳥の空音は 謀(はか)るとも
よに逢坂の 関は許さじ

夜がまだ明けないのに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうと
 しても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は
 決して許しません。(だまそうとしても、だめですよ)

 左京大夫道雅(63番) 『後拾遺集』 

今はただ 
思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな

今となっては、あなたへの想いをあきらめるという
 ことだけを、あなたに直接逢っていう方法があればいい。

 権中納言定頼(64番) 『千載集』

朝ぼらけ 
宇治(うぢ)の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木

明け方、徐々に明るくなってくる頃、宇治川の川面に
 かかる朝霧も薄らいできた。その霧の切れ目から現れ
 てきたのが、川瀬に打ち込まれた網代木ですよ。

 相模(65番) 『後拾遺集』

恨みわび 
ほさぬ袖だに あるものを
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

恨み続け気力もなくなり、泣き続けて涙を乾かすひまもない
 着物の袖さえ、朽ちてぼろぼろになるのが惜しい。
その上にこの恋のおかげで悪い噂を立てられ、
朽ちていくだろう私の評判が残念です。

前大僧正行尊(66番) 『金葉集』

もろともに 
あはれと思へ 山桜(やまざくら)
花より外に 知る人もなし

私が愛しく思うように一緒に愛しいと思ってください。
 山桜よ。この山奥では桜の花の他に自分を
理解してくれる人もいない。ただ独りなのだから。

周防内侍(67番) 『千載集』  

春の夜の 
夢ばかりなる 手枕(たまくら)に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ

短い春の夜の、夢のようにはかない、たわむれの手枕の
せいでつまらない浮き名や噂が立ったりしたら口惜しい。
 


  三条院(68番) 『後拾遺集』 

心にも 
あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな

心ならずも、このはかない現世で長く生きる事ができるならば、
 きっと恋しく思い出されるに違いない、この夜更けの月が。



能因法師(69番) 『後拾遺集』  

嵐吹く 
三室の山の もみぢ葉は
龍田の川の 錦なりけり

山風が吹いている三室山(みむろやま)の紅葉が吹き散らさ
 れて、竜田川の水面は錦のように絢爛たる美しさです。



 

  良暹法師(70番) 『後拾遺集』   

寂しさに 
宿を立ち出でて 眺むれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ

あまりにも寂しさがつのるので、庵から出て辺りを見渡すと、
どこも同じような寂しい秋の夕暮れが広がっている。

     大納言経信(71番)       

夕(ゆふ)されば 
門田の稲葉 おとづれて
芦のまろやに 秋風ぞ吹く

夕方になると、家の門前にある田んぼの稲の葉にさわさわと
音をたてさせ、芦葺きの住まいに秋風が吹き渡ってくる。



祐子内親王家紀伊(72番) 『金葉集』 

音に聞く 
高師(たかし)の浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ

噂に高い、高師(たかし)の浜にむなしく寄せ返す波にはかか
 らないようにしておこう。袖が濡れては大変ですから。
 (浮気者だと噂に高い、あなたの言葉を心にかけずにおきま
 しょう。後で涙にくれて袖を濡らしてはいけませんからね)

権中納言匡房(73番) 『後拾遺集』

高砂の
尾の上の桜  咲きにけり
 外山の霞 たたずもあらなむ

遠くにある高い山の、頂にある桜も美しく咲きました。
人里近くにある山の霞、どうか立たずにいてほしい。
美しい桜がかすんでしまわないようにね。

 

 源俊頼朝臣(74番) 『千載集』   

うかりける 
人を初瀬の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを

(私に冷淡で)つれないあの人が、
私を想ってくれるようにと
 初瀬の観音様にお祈りをしたのに。
まさか初瀬の山おろしよ、お前のように、
もっと激しく冷淡になれとは祈らなかったはず。


藤原基俊(75番) 『千載集』

契(ちぎ)りおきし
させもが露を 命にて
   あはれ今年の 秋も去ぬめり

約束してくださいました
、よもぎ草の露のようなありがたい
 言葉を頼みにしておりましたのに、
ああ、今年の秋もむなしく過ぎていく。

 法性寺入道前関白(76番) 『詞花集』

わたの原 
漕ぎ出でて見れば 久かたの
雲ゐにまがふ 沖つ白波

大海原に船で漕ぎ出し、ずっと遠くを眺めてみれば、
かなたに雲と見間違うばかりに、沖の白波が立っていた。

崇徳院(77番) 『詞花集』 

瀬を早(はや)み 
岩にせかるる 滝川の
   われても末に 逢はむとぞ思ふ

川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分岐。
しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、
いつかはきっと再会しようと思っているのです。



  源兼昌(78番) 『金葉集』      

淡路(あはぢ)島 
かよふ千鳥の 鳴く声に
いく夜寝覚めぬ 須磨の関守

淡路島から渡ってくる千鳥の鳴き声に、
幾夜目を覚まさせられたことだろうか。
冬の夜、須磨の関守は。

左京大夫顕輔(79番) 『新古今集』

秋風に 
たなびく雲の 絶え間より
   もれ出づる月の 影のさやけさ

秋風に吹かれて横に長くひき流れる雲の切れ目から、
洩れてくる月の光の、なんと澄みきった美しさだろう!

 待賢門院堀河(80) 『千載集』  

  長からむ 
心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は ものをこそ思へ

夜契りを結んだあなたは、末永く心変わりはしないと
おっしゃっいましたが、どこまでが本心か。
お別れした今朝はこの黒髪のように心乱れて、
いろいろ物思いにふけってしまうのです。

後徳大寺左大臣(81番) 『千載集』

ほととぎす 
鳴きつる方を 眺むれば
ただ有明の 月ぞ残れる
    

ホトトギスが鳴いた方を眺めれば、姿は見えず、
 ただ明け方の月が淡く空に残っているばかり。

道因法師(82番) 『千載集』

思ひわび 
さても命は あるものを
憂きに堪へぬは 涙なりけり

つれない人のことを思い嘆きながら、絶えてしまうかと思った
 命はまだあるというのに、辛さに絶えきれずに
流れてくるのは涙だった。



 皇太后宮大夫俊成(83番) 『千載集』

世の中よ 
道こそなけれ 思ひ入(い)る
   山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

この世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法など
ないものです。 思いつめたあまりに分け入ったこの山の
奥でさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。


 藤原清輔朝臣(84番) 『新古今集』 

 永(なが)らへば 
またこの頃や しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき

この先もっと長く生きていれば、辛いと思っている今も
 また懐かしく思い出されてくるのだろうか。
辛く苦しいと思っていた昔の日々も、
今となっては恋しく思い出されるのだから。


 

       俊恵法師(85番) 『千載集』  
     
     夜もすがら 
もの思ふ頃は 明けやらで
 ねやのひまさへ つれなかりけり

夜通しもの思いに沈むこの頃、夜が
なかなか明けないので、寝室の隙間さえも、
つれなく冷たいものに思えてしまう。


 西行法師(86番) 『千載集』

嘆けとて 
月やはものを 思はする
かこち顔なる わが涙かな

嘆けと言って月が私を物思いにふけらせようとするか? 
いや、そうではない。月のせいだとばかりに流れる私の涙。

(諸国を旅した西行の恋の歌)

寂蓮法師(87番) 『新古今集』     

村雨(むらさめ)の 
露もまだひぬ 槇(まき)の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

にわか雨が通り過ぎていった後、まだその滴も乾いていない杉
 や檜の葉の茂りから、霧が白く沸き上がっている秋の夕暮れ時。

皇嘉門院別当(88番) 『千載集』

難波江の 
芦のかりねの ひとよゆゑ
  みをつくしてや 恋ひわたるべき

難波の入り江の芦を刈った根っこ(刈り根)の一節
 ではないが、たった一夜だけの仮寝のためだけに、
澪標(みおつくし)のように身を尽くして生涯をかけて
恋いこがれ続けなくてはならないのでしょうか。

式子内親王(89番) 『新古今集』

玉の緒よ 
絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの よわりもぞする

我が命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。
このまま生き長らえていると、
堪え忍ぶ心が弱ってしまうととても困るから。


殷富門院大輔(90番) 『千載集』

見せばやな 
雄島の蜑(あま)の 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変はらず

あなたに見せたい。松島にある雄島の漁師の袖でさえ、
 波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに。
私は涙を流しすぎて血の涙が出て、
涙を拭く袖の色が変わってしまいました。



 後京極摂政前太政大臣(91番) 『新古今集』

きりぎりす 
鳴くや霜夜の さむしろに
衣かたしき ひとりかも寝む

こおろぎが鳴いている霜の降る寒い夜に、
むしろの上に衣の片袖を自分で敷いて、
ひとりぼっちで寝るのだろうか。

(キリギリスは今のこおろぎ)

二条院讃岐(92番) 『千載集』  

わが袖は 
潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね 乾く間もなし

私の袖は引き潮の時でさえ海中に隠れて見えない沖の石のよう。
他人は知らないだろうが涙に濡れて乾く間もないのだ。



鎌倉右大臣(93番) 『新勅撰集』  

世の中は 
常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ
   海人の小舟(の 綱手かなしも

世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしい。
波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(へさき)にくくった綱で
陸から引かれている、ごく普通の情景が切なく、そしていとしい。

参議雅経(94番) 『新古今集』 

み吉野(よしの)の 
山の秋風 小夜(さよ)ふけて
ふるさと寒く 衣打つなり
      

奈良の吉野の山に秋風が吹きわたる。夜がふけて
 かつて栄えた都は、今は寒々とわびしく、
衣を砧(きぬた)で叩く音が響いている。

前大僧正慈円(95番) 『千載集』   

おほけなく 
うき世の 民(たみ)に おほふかな
    わがたつ杣(そま)に 墨染の袖

身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民を
包みこんでやろう。この比叡の山に住む私の墨染めの袖で。

入道前太政大臣(96番) 『新勅撰集』 

花さそふ
 嵐の庭の 雪ならで
   ふりゆくものは 我が身なりけり

桜の花を誘って吹き散らす嵐の日の庭は、
桜の花びらがまるで雪のように降っている。
実は老いさらばえて古(ふ)りゆくのは私自身。


 権中納言定家(97番) 『新勅撰集』     

来ぬ人を 
まつほの浦の 夕なぎに   
 焼くや 藻塩の 身もこがれつつ

松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、
私の身は 来てはくれない人を想って、恋い焦がれている。

従二位家隆(98番) 『新勅撰集』 

風そよぐ 
ならの小川の 夕暮れは
   みそぎぞ夏の しるしなりける

風がそよそよと吹いて楢(ナラ)の木の葉を揺らしている。
 この小川の夕暮れは、すっかり秋の気配となっているが
 六月祓(みなづきばらえ)のみそぎの行事だけが、
夏であることの証なのだった。

後鳥羽院(99番) 『続後撰集』  

人もをし 
人も恨(うら)めし あぢきなく
   世を思ふ故に もの思ふ身は
  

人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。
つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。
 (後鳥羽院は承久の変で隠岐へ流され、そこで暮らす)

     順徳院(100番) 『続後撰集』  

 百敷(ももしき)や 
古き軒端(のきば)の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり

宮中の古びた軒から下がっている忍ぶ草を見ていても、
しのんでもしのびつくせないほど思い慕われてくるのは、
古きよき時代のこと。(順徳院は後鳥羽天皇の第3皇子
承久の乱に破れ、佐渡へと流されました)

人の心の奥深い感情や、四季の喜び、悲しみ
苦しみを美しい日本語で表現する百人一首。
日頃から和歌に触れることで豊かなで深い心を
取り戻したいと思いこのページを作成しました。

電彩アート 山田みち子


2018年7月20日